思いやり


「セスタス」というマンガがある。ローマ時代に拳闘一つで拳奴の身から自由を得ようとしている少年と、そのライバルの総合格闘家の少年の成長の物語。

最新巻13巻では、ライバルの総合格闘家の少年、黄金のルスカが、良かれと思い行ったことで苦境に立たされてしまう話。

ルスカは衛帝隊に籍をおく衛士。衛帝隊は皇家の個人的ボディーガードで、帯剣を許されぬ皇宮内にあって徒手空拳で皇帝を護衛する集団(史実とは関係ありません)。

ルスカは皇妃オクタヴィアの護衛を担当する。オクタヴィアは高貴な血筋ではあるが、現在は何の後ろ盾もない儚い立場にあり、ただ高貴な血筋であることのみを買われて、皇帝ネロの正妻にある。

オクタヴィアをネロの正妻につけたのは、ネロの母、皇母アグリッピーナ。アグリッピーナは稀代の権謀家であり、先代皇帝の後妻という立場から、我が子ネロを皇帝につけるために様々な権謀術策を弄し、正妻の嫡子を押しのけてそれを実現させる。ネロが庶子の出であることを補うため、さらに前の皇帝の血筋であるオクタヴィアを言わば買い取ってネロと娶せ、高貴な血筋を取り入れることで、ネロの子を次の皇帝とさせる正統性を手に入れようとする。

アグリッピーナの術策によってのみまとめられた縁談であるため、ネロはオクタヴィアに対し、全く妻としての関心を払わない。当然子は無い。
アグリッピーナは、血を取り入れるためだけに、気弱で反りもあわないオクタヴィアをわざわざ皇帝の正妻にしてやったのに、子を成さないオクタヴィアをなじる。

何の後ろ盾もなく、夫からは愛されず、姑からはなじられるオクタヴィアの心の安らぎは、文字通り身を挺して皇家をガードするルスカの強さと優しさ。寄る辺の無い15歳の少女にとって、それが恋心に変わるのは時間の問題であった。

一方のルスカは、不幸な事故で失った婚約者の面影をずっと抱いており、高潔で実直な人柄もあり、オクタヴィアの好意には気づかない振りをする。
だがそれを見逃すようなアグリッピーナではなかった。高度に政治的な生き物であるアグリッピーナは、オクタヴィアの秘めた想いを利用しようと考える。

オクタヴィアに対してはカマをかけてルスカに気があることを自白させる。百戦錬磨の権謀政治家であるアグリッピーナにとって、オクタヴィアを誘導尋問にハメることなどなにほどのことでもなかった。そして自白をとると、今度はこう持ちかける。「正統な世継ぎとしてネロの子を産みさえすれば、後は何をしても構わない」と。
オクタヴィアの価値はその血筋のみなのだから、世継ぎの男子を産みさえすれば、あとは愛人を囲おうが恋人と逃げようが、一切不問と語り、子を成せぬオクタヴィアを、子を産む機械として積極的に行動させようと誘惑する。
ルスカに対しては、単純に懲罰を与えるのではなく、無二の天才格闘家であるルスカに負い目を負わせて、絶対服従を誓わせようと画策する。

アグリッピーナの危険な策謀に感づいた衛帝隊副長ドライゼンは、ルスカを呼び出して叱責する。お前は自覚に欠けていると。
身に一点のやましさもないルスカは、自分は潔白であり、咎があるならその責任は自分が一身に請けると言う。

ものごとの道理をわきまえたドライゼンは、やましさの問題ではないと諭すが、ルスカは納得しない。
言葉では納得しないルスカを、ドライゼンは腕っ節でねじ伏せる。天才格闘家といえどもまだ若いルスカは、技量で副長のドライゼンに及ばないのは明白であるが、本来の実力差以上に、赤子のように捻られてしまったのは、ドライゼンの言葉に理があり、ルスカに気後れがあったからではなかったか。
組み伏せたルスカに対し、ドライゼンは言う。お前に邪な気持ちがないのは信じるが、相手方の気持ちを考えていない。考えようとしていないと。

強く志の高いルスカにしてみれば、皇妃ともあろうものが、立場を忘れて火遊びをすることなどありえないと考えるのが当然だが、それではか弱いオクタヴィアの身になって考えたことにはならない。ルスカは(強い)自分が皇妃の立場だったらこうするということは考えていても、(弱い)オクタヴィアだったらどう考えるかということには思い至っていない。

ドライゼンは、ルスカが真に相手の視点にたって考えていないその点を、危機管理を預かる衛帝隊としての自覚に欠けていると指摘した。オクタヴィアのことだけでなく、敵となる者がどう考えるかを、自分の基準だけで考えてはいけないと。それは政治的に危険な存在であるアグリッピーナは、ルスカが考えるような基準では動いていないと注意を促すものでもあった。


人間そうそう立場の異なる他人の気持ちになど、思い至るものではない。どうしても自分基準になってしまう。もしくは、他人の気持ちを考え過ぎておもねってしまい、自分を殺すことになる。なかなかドライゼンのように道理をわきまえ、人とはどのようなものなのか、ひとつひとつ他人の立場気持ちに立って深く考え、それが自分と異なる不快な考え方であっても、その視点に立つ手間を惜しんだりしないというわけにはいかない。

人生は短く、なかなか他人の考えを深く知る手間などかけていられないものだが、結論を自分で作ってしまわないようにするぐらいの注意はあった方がいいだろう。